環境適応について

「環境適応」講習会について

この講習会では、可能な限り現在の臨牀的課題に即したテーマをとりあげ、セラピストの労働時間や職場環境などを考慮した治療場面を提案することを目標にしています。
したがって、理論的・技術的な背景はボバースアプローチに基づいていますが、それそのものを伝達あるいは紹介するためのものではありません。
片麻痺者が抱えている機能的課題を出来うる限り具体的に列挙して、それぞれに対応した経験をそのままの形で紹介するような構成を目指しています。
ただし、機能的課題の遂行には正常な知覚・運動統合過程が不可欠であることから、個体、環境、課題間の相互関係に着目し、神経生理をはじめ、生態心理学、認知科学、発達学、文化人類学などさまざまな分野の知見を援用して、それらの臨床経験を解釈しつつ応用展開の可能性も探っています。
このような事情から、この講習会で紹介する内容は確定的なものではなくて、日々進展するように努力を続けている活動のその時点における到達水準といえるものであり、受講生として参加される方々には、その趣旨に対する御理解と御協力をお願いしています。
紹介する技術の大半は、それを有効に実践できるまで一定のトレーニングを必要としています。しかし講習会の日程は短期間であり十分なトレーニングは困難です。長期間の講習会は用意できていないので、個人的な研鑽に依存しているのが現状であります。
ですから、人によっては同じテーマを継続して受講する方や、同一年次に複数のテーマに参加される方もおりますが、それぞれご本人の判断にお任せしております。
この講習会に参加されて興味をもち更に技術的な向上を期待される方には、まずはベースとしているボバースアプローチの成人片麻痺基礎講習会を受講されることを推奨します。
リハビリテーション医療をめぐる環境はめまぐるしく変化しています。その中で個別的な障害状況や回復の可能性とは無関係に早期の退院が迫られ継続した十分な医療を受けづらい環境が出来つつあります。一方セラピストにとっても、一個の医療技術者として自らの医療行為に確信をもち研鑽に励む環境は確実に狭まりつつあると考えます。
そのような状況であるからこそ自覚ある多くのセラピストが自らの技術を点検し充実させて後輩に引き継ぐ必要がますます高まっているものと考え、講習会という形で呼びかけております。

 

環境適応A:平面・移動空間への適応

麻痺者の視空間知覚がその障害象との関連で問題とされる場合、ほとんどは高次脳機能障害としての視空間失認、半側空間無視、あるいは「準空間的」統合の障害としての頭頂ー後頭領域の障害・Gerstmann症状群などが主体でありました。
しかしリハビリテーション医療の日常的な臨床場面において、極一般的な片麻痺者がほとんど例外なく日常の視空間的課題に困惑し、片麻痺特有の障害象を増悪させていることも事実です。しかもそういった問題の殆どは、原因を姿勢・運動コントロールの出力に限定して解釈され、知覚・運動統合における障害として援助されことは少ないというのが現状であろうかと思います。
平面への適応を例にして考えて見ますと、運動療法の中では床上基本動作として、ADL.では起居動作として分類され、「個体発生学的に見ても、最も原始的な基本動作であり、脳血管障害後早期に行われるべき動作の一つ」とされています。そして、その指導内容はいわゆる日常生活動作の指導であって、片麻痺者の抱える困難性の分析よりは、どのようにその動作目的を実現するかに力点が置かれることが多いといえます。
片麻痺者の障害像は発症当初から内部、外部を問わず環境への不適応を示していると考えます。それも基本的には自分を支える支持面との適応関係が作れないことに起因しています。「支持面から支えられているという確信が持てなければ、自分の存在が不安定になり、恐怖心が出て身体を内部で結合するために(過剰な)力を入れ」さらに不適応を助長することになります。急性期、患者はこのような混乱に加えて集中治療室の不慣れな場面と未知の機器に直面し、最高に緊張を高め、狼狽しながらも手順に従順に従わざるをえない状態が続いていると言えます。早急に支持面との適応関係をつくり、環境への適応を援助される必要があります。
それでは、痙性期や適応回復期における患者は基本動作(ADL.としては実現していても)における支持面に確実に適応できているかというと、やはりそうではないように思います。これらの時期の特徴としては、支持面(大地)を共有する視覚対象に的確な反応ができず、様々な困難性を抱えていると考えられます。平面との関係は支持基底面(BOS)との関係であり、重力と姿勢コントロールとの相互関係(接触部位に反映する反力の圧変化と、身体表面によるその知覚探索)と言い換えることができます。そのような意味から平面の見えの変化は身体内部におけるこの相互関係の変化を視覚的に捉えているものであるはずです。Gibsonによれば平面は限りなく密な肌理をもつ地平から、肌理は連続的に粗になり自身の支持面で最大に拡大します。その拡大率はその視点の高さ、つまり対象面との角度によって決まってくるはずです。したがって主体は肌理の拡大率の変化から対象面との高低差とともに遠近を知覚しているはずです。このように考えると、身体が空間内において定位される条件はその光学的な変化率の不変項が自身の身体感覚と一致しているということになります。臥位姿勢の保持や寝返り、起き上がりなどの基本動作はこのような平面との関係の変化を直接的、能動的に探索する過程としてとらえることができます。したがって正常な姿勢・運動コントロールにおいては、常に景色は自身の身体・固有感覚との関連で捉えられ、支持基底面に反映される重力的な関係も含めて、外部環境の空間構造はそれらすべての相互関係として、言い換えれば自分自身を投影するものとして捉えられているものと考えられます。ところが、片麻痺者は初期弛緩期、痙性期、適応回復期の全てを通じて、それぞれの生活場面の中で、自身の身体を代償的戦略で制御することに汲々とし、環境空間からの視覚情報の正常な取り入れに非常な困難を起こしていると考えます。
そこでコースAでは、視空間知覚は移動を特定するものであり、姿勢・運動制御と表裏の関係にあるという観点から片麻痺者が抱えるさまざまな問題を考察し、健常者同士による実験も含めて時間的に許される範囲の実技を提案します。
従来は「平面適応」と「移動空間への適応」を別にして二つの講習会を開催していました。前者ではベッド周りでの活動で生じる諸問題がテーマであり、具体的にはポジショニングや床上基本動作と呼ばれる寝返り、起き上がり、坐位バランス、立ち上がり関連課題の分析と誘導を検討してきました。
後者では室内環境における壁や柱、家具などの側面構造や高低差が片麻痺者の運動コントロールにもたらす視覚的な影響などを考察し、解決のためのいくつかの提案を行ってきました。
いずれのテーマも大多数の参加者から高い評価をいただき一定の内容を盛り込めてきたと自負していますが、時間的な制約から十分な実技練習が提供できず、さらに応用展開の部分では紹介に終わらざるを得ないなどの問題も抱えてきました。にもかかわらず、今年度この二つをまとめて開催することになったのは、背景とする考え方の主要な側面が固有感覚系と視覚系の協応であり講義の大部分が重複してしまう、実技的にも支持基底面やリファレンスポイントの確保、前庭系への配慮など平面適応での理解を前提として移動空間における手技が成り立つという内容的な事情に基づいています。今年度この形で実施した上で時間的な制約をどのように解消できるか検討したいと考えております。

環境適応B:症例検討

例年どおり、治療実習を主体として行います。本来であれば全てのコースでも治療実習的な体験をしていただきたいのですが、体制上それが出来ませんので一つのコースとして独立させております。例年、多くの参加申し込みをいただいているにもかかわらず十分お応えできず申し訳ありません。受講される方の選考につきましては一応これまでに他のコースを受講されているということを判断材料にさせていただいております。
参加者は小グループに分散して、協力していただく患者さん個別の具体的な機能課題達成に向けて対策を考案し実践していただきます。
ですから環境適応講習会でテーマとしております患者さんの個別的な状態とその場面、そして課題が持つ意味と可能性についての十分な考察を体験していただきます。
実習と呼んでおりますが患者さんの利益を最優先にさせていただいておりますので、治療場面はインストラクターの管理下で進行します。患者さんに無駄な労力を強いないこと苦痛を感じさせないことは当然ですが、その上で協力したことで何らかの機能を発揮し課題を達成できたという満足感を得ていただきます。そのために受講生の皆さんもインストラクターも一体となって議論し、考案し、実践技術を点検します。
その経験をそれぞれの臨床場面で生かしていただければこの講習会の意義が生かされると期待しております。

環境適応C:みずくろい(洗体&更衣)

洗体動作や更衣動作など直接的に自己の身体を管理する日常生活活動は、伝統的リハビリテーションにおいて治療課題として取り上げられる代表例と言えます。従来、これらの課題は自助具や作業工程の工夫によって対応する日常生活課題の代表として考えられてきました。しかし多くの場合そのような代償的な方策は、必要に迫られた片麻痺者本人の工夫によって、あるいは介護者の指導によって可能な部分は達成されています。反面、集中した指導を必要とするようなレベルにある場合(全ての課題に共通していますが)、その達成は非常に困難です。
また、洗体や更衣のいずれかの機能が目立って障害されている場合、その方の機能的な障害を日常生活全般で見渡すと、ほとんど同じ問題を背景とする困難性が随所に見受けられます。しかも生活の質とか、健康の維持などを素直に考えると、むしろそちらの改善の方が差し迫っているということも少なくありません。課題の達成を最優先にするのではなくて、その遂行に不可欠となるスキルの要素を吟味する必要があると考えています。そしてそのスキルを発揮する上で必要な感覚情報とは何なのか、さらに片麻痺者でその受容を阻害している要因は何かを明らかにしない限り、問題の本質的解決には向かえないものと考えます。
人間は海水をいっぱいに満たしたゴム風船の様なものであって、それが重力下の様々な環境条件において自由に動き回っているという比喩があります。ごつごつした表面や鋭利な突起物に接しながら動きまわり、しかも決して自身の表面を傷つけてパンクすることなく生き続けられるためには、鋭敏な感覚と反応のシステムが備わっていることが必須条件といえます。みづくろい(洗体、更衣)は、そのような中枢システムの存在を背景として初めて可能となると考えます。
そしてそのような知覚システムは日常のあらゆる姿勢・運動コントロールの基礎として、注意すれば随所に認めることができます。何らかの姿勢(例えば端坐位)を一定時間保持している条件では、支持面と接触する身体表面は常に、加わる圧力の程度および方向が変化し調整されています。つまり、同一姿勢内における細かな重心移行なり、細かな身じろぎあるいは伸び反応によって圧力の集中する部位をずらしたり調整したりする、あるいは接触している面積を広げて対象とのより安定した関係を作り出そうとするような、何気ないしぐさとして観察できます。
テーブルにもたれながら活動しているとき、支持面兼リファレンスポイントとしてのテーブル面やその角との接触を保ちながら接触部位を移動させなければなりませんが、その際、その身体表面の皮膚は摩擦を減少させる方向で緊張を緩めたり、あるいはさらに高めたりといった反応を起こします。また、痒みなど何らかの異常が身体局所に生じると、即座に、手で探る、ひっかく、あるいはその部位を動かして外部環境にこすりつけるなどの身体反応が出現します。しかも、これらは無意識的・自律的過程として経過します。もちろん、原因となった刺激自体も多くの場合自覚されていません。

<洗体>

皮膚面の感覚受容器および固有感覚系と自律的な身体反応とがもっとも直接的に協調し合う活動であると言えます。手洗いの場面ではその関係が象徴的に現れています。この動作のなかでは主体的に洗うという行為を遂行している手は同時に洗われる側の手でもあるわけです。左右の手の平が互いに密着しあい拭い合う。この拭うという行為は手指の触覚探索をもとにしています。拭われる側も、たとえば背中がかゆいときにそこを柱などにこすりつけてその触・圧感覚を楽しむように、能動的に知覚探索の反応を起こしているはずです。したがって手洗いにおける両手は、それぞれが二重の意味での知覚探索を行っていることになります。
このように洗体動作には自身の身体に向けられた探索行為と、その身体部位が接触感覚を求めておこす探索反応という二つの側面があり、両者の協応が必要とされています。そして前者ではタオル、スポンジあるいは石鹸などの介在物を通じることが多いということと、比較的に片麻痺者においては後者の反応が欠落することによって問題が生じているということに注目する必要があると考えます。

<更衣>

更衣動作は本来全身活動です。該当する部位を含めてあらゆる身体部位が何らかの意味で協力関係にあります。また主に上肢を使って行う動作でもありますが、自身の身体部位に手のひらを反転させて操作しなければならないので、そのこと自体でも運動は比較的大きなものとなります。したがってどのような姿位でも、バランスと十分な可動域を必要としています。また衣服はいったん身にまとってしまえばその瞬間から身体の一部として管理されることになるのですが、安定の確保に汲々としている片麻痺者においては自己の身体そのものも往々にして(自律的な反応による)管理の対象からは外されています。もちろん片麻痺者の多くは日常、身だしなみを大切にして健常者以上に気を 使っていることも事実です。しかし、その場合でも意識的な努力の上になり立っていることを忘れるべきではないと考えます。
特殊な障害として半側視空間無視、身体無視、着衣失行などが更衣を困難にする要因としてあげられますが、そのような診断が下される症例の多くが、動作に含まれる内容を観察してみれば一般的な片麻痺者と本質的なところで一致した困難性を抱えていることがわかります。対称姿勢の維持や身体の管理が特に困難なような例では、ズボンが十分に引き上げられていなかったり(特に麻痺側)、非麻痺側に捻れていたり、シャツがはみ出していたり、シャツのボタンが段違いに掛けられていたり、あるいは前後が逆のまま気づかずにいたりすることがあります。周囲の人間にとっては何故そのくらいのことに気づけないのかと不思議に感じられることもあるのですが、しかし健常者はどのようにしてこれらの身だしなみを維持しているのでしょうか。同じ状態を自分で再現してみればよくわかるはずです。ズボンを半分だけ引き上げた状態では、まずむき出しになったお尻が外気や椅子その他に接触して違和感があります。感覚障害があって麻痺側の知覚が鈍麻しているとしても、引き上げた非麻痺側の腰の部分はゴムがくいこんで不快ですぐにでもなおしたくなります。捻れた状態も立ち上がりや上体の運動のたびに不快感を感じます。シャツのボタンが段違いになる例は、健常者でも寝ぼけていたり非常に急ぎの用事があったりすれば体験しないわけでもありません。しかし落ちついてその状態をつくってみれば違和感があって頚をよじったり肩を動かしたり落ちつかないことがわかるはずです。健常者は衣服を身につけた瞬間からまず身だしなみという前に自分の身体に取り込むために何らかの自律的な身体運動をして調整しています。
ところが片麻痺者にとってはそれが難しいのだと考えます。体性感覚の異常を身体反応によって調整するようなもっとも基本的な自律的反応が代償固定や最大抵抗へ固執する傾向によって犠牲にされているのです。したがって身だしなみは身だしなみとして意識的努力によって維持されているものとしか考えようがありません。それは片麻痺者の更衣動作の中に如実に現れています。更衣中の上肢の運動はせかせかと余裕が無く、滑らかさに掛けています。衣服を操作する手の力の方向も的確でなく合理性に欠けます。なによりもその動作の中心的な身体部位の主体的な反応が認められず手によって着せられている関係が生まれています。そのために、どんなに早い動作にみえても健常者と直接比較してみると格段に遅いことがわかるはずです。
洗体動作や更衣動作、身繕いなどの基本動作能力は、このように高度に協調した中枢システムの、生存に欠くことの出来ない自律的な機能によって保証されているといえます。従って、個別的な動作課題の検討にはいる前に、体性感覚とその中枢システムおよび身体定位反応や自律反応について検討する必要があると考えています。
繰り返しますが、ですからCコースでは、みづくろい(洗体、更衣)について、課題内容の本質的な側面から得られる感覚情報と運動との協応関係を実現することを重視する立場から、動作形態や手順の改善に主眼を置くのではなく、また上肢の操作的な運動反応の改善よりむしろ対象となる体幹・顔面など中枢部の自律的な探索反応の促通を提案します。
各項目の具体的な手技とともに正常な体性感覚の受け入れがもたらす波及的な効果についても触れる予定です。
このテーマも一昨年までは洗体動作と更衣動作の二つの講習会として開催していました。いずれも行為の進行につれて変化する体性感覚情報に基づいた自律的な反応をどのように援助するかが主要な課題となるので、講義・実技の基本的な部分が重複してしまうため統一して行うことにしました。

環境適応D:食事

食事動作は基本的には、上肢の代償的な活動ではなくて、咀嚼と嚥下、そして味覚の探索が主体となるべき活動であるといえます。そして、きわめて動物的で自律的な反応であるともいえます。しかし、人間にとっては、同時に最も文化的でスキルの要求される課題でもあります。場面への適応や、上肢のスキル、食物に対する知識、食事のマナー、道具操作の技術などが、口腔内における自律的な反応と密接に関わり合っているというのが、この動作課題の特性であろうと考えます。
「茶碗ぐらいは持って食事が出来るようになりたい」、「箸が使えるようになりたい」というのが片麻痺の方がご自身の上肢機能に対する訴えの代表例です。麻痺上肢が自由に使えるようになるかどうかは麻痺の程度、質によって限定されざるを得ませんが、ほんの少しと思われる程度の機能水準でも麻痺側が如何あるかによって食事動作全体の質は明らかに変化します。試みに、まず左手を脇に垂らして右手で箸を操作して食べる、左手をテーブル上において行う、つぎに左手を食器に添えて行う、さいごに食器を持って試してみて下さい。おそらく段階ごとに次第に食事行為自体が容易になってくるのが実感できると思います。さまざまな要因が複雑に絡み合ってこのような印象を感じさせるのかもしれません。少なくとも次のようなことが考えられます。

1. 上肢・手の巧緻性は対称的な構えにおいて最も発揮しやすい
2. 自身へのリーチは最も中枢部(肩甲帯)の運動性と安定性を必要とするが、それは対側の状態に左右される
3. 手と口の協調関係は、食事に向かう全身的な構えの上に成り立つ
4. 咀嚼・嚥下は頚部の伸展によって容易になる

一側の上肢のあり方が、これらの条件に何らかの影響を与えていると推察されます。
使えない手(廃用手)という考え方が、いかに間違いであるかということが、この事実一つをとってみても明らかであろうと思います。ですから、どれほどに重度の麻痺であっても食事中麻痺上肢をテーブルに載せておくか、それに代わる肢位に保てる水準に到達するということが最低限の条件であろうかと思います。麻痺上肢にある程度の機能を残している、例えばその手を口に運べる、あるいは指折りぐらいはできる水準に到達している方でも、いざ食事場面に向かうとその機能が生かせなくなるということを数多く経験しています。それが食事という課題の特殊性であり困難性であろうかと思います。
片麻痺者は基本的に食物を前にして、その味覚や咀嚼、嚥下課題に反応するのではなくて、その口への取込みの為の、それも上肢の代償的な活動に汲々としているように見えます。また本来であれば口腔内に取り込まれた食物は意識することもなく、自律的に咀嚼されて食塊にまとめられ次の嚥下の相に移されるのですが、このような努力性の反応の中では、口腔内における自律的で高度に協調的な反応は失われ、より稚拙で全体的な咀嚼運動に後退し努力性の嚥下に陥っていると考えます。
食事活動は多くの側面で巧緻的な活動です。そのために患者は食物を前にしたときにまず代償固定を強めて身構えます。その反応の主要な側面は食物に対しての接近ではなく、体幹部における重心を下げるための屈曲と後退です。そこからさらに屈曲を強めて形態的にのみ接近を起こそうとするので、上部体幹の緊張的な非対称性が強まると共に代償的な頭頚部の過伸展が引き起こされることになります。この過剰な姿勢緊張の高まりは下顎の後方への引き込みをもたらし、それが口唇および口腔内の構えの形成を妨げることになると考えます。同時に上肢の活動においても、非麻痺側の典型的な代償パターンを増強し、食物に対する最初の接触における知覚的な統合の機会を失わせ、視覚的な対象知覚の質も低下させることになります。
このような食物摂取における総合的な反応の偏り、あるいは乱れが片麻痺者の多くに観察される食事の個別的な問題の主要な原因となっているものと考えます。
食事での両側活動に関する訴えの中に、麻痺手を単独であれば口に届かせることができるのに、非麻痺側の手でスプーンや箸を操作しながら麻痺手で器を口に運ぼうとすると、それが出来ないというものもあります。両側活動の困難性があらためて象徴的に自覚されるのが食事場面であるということなのかもしれませんし、片麻痺者特有の努力的活動では、なかなか箸やスプーンといった道具操作が思うようにならないことから、食事動作の全般的な困難性を上肢機能にかぶせて自覚しているのかもしれません。
食事課題の困難性はご本人が明確に自覚し、表現できない多くの側面に影響を与えているものと考えます。入院中の食事であれば個人的活動の範囲ですむのですが、外食の際や家族との食事場面では外見ということも重要な問題として負担に感じられているだろうことも予想できます。そういった隠れた問題も積極的に洗い出し、仮説的な分析と援助方法を開発し続けることが、食事活動そのものを理解する最善の道であると考え、本コースでは考えうるあらゆる側面から問題を取り上げ現時点における対策を紹介したいと考えています。

環境適応E:ACTIVITY

ボバースは自らの治療の基本姿勢を、全人的アプローチ(Holistic approach)という言葉で表現しました。すなわち、常に上位中枢神経系の協調性を追求する、感覚、知覚、行動上の問題は常に運動と共に治療する、そして実際的な機能を追及するという3項目で表される立場です。
中枢神経系の損傷によって発生する問題は、これまで述べてきましたように、要するに適応上の困難性として現れています。ボバースアプローチでは、その背景に正常な中枢性姿勢制御機構の働きが失われた結果出現する、姿勢トーンの異常、相反神経支配関係の協調不全(遠位部の自由性を保障する近位部の安定性喪失など)、自律運動を主体にした多種多様な正常運動モデルが失われ運動が固定的なパターンに固定される、そして固有受容感覚コントロールの乱れなどの問題を認めます。
その結果、片麻痺者のあらゆる適応課題遂行は不経済で効率のわるい状態におかれます。